ちぃ通信

イギリスでワーホリ生活、700日の記録。

私のコンプレックスは私のアイデンティティでもある

ロックダウン中で、時間がたっぷりあると色んな考えが頭を駆け巡って、だんだんと悟りを開いてきちゃいます。悟りというか、ストンと心に「自分なりの答え」みたいなものが落ちてくる感じ。

今日はそれが、「私のコンプレックスは、私のアイデンティティでもある」でした。

人って誰しもコンプレックスの一つや二つ持っているんではないでしょうか?容姿や性格、悩みは人それぞれだと思います。

私もいくつかコンプレックスはありますが、一番意識して長く付き合ってきているのはやはり自分の見た目(主に顔面)です。

 

私は赤ちゃんの頃に口周りと左手に割と大きい火傷を負いました。原因は詳しくは話しませんが、親が気づかないうちにキッチンに入ってしまっての事故でした。

幼少期から20歳になるまで、何度か手術を繰り返しましたが、勿論ケロイドは残ったままです。だいぶ目立たなくはなりましたけれどね。

多感な年頃の小学生高学年から中学生にかけては、その傷痕のおかげで同級生の男の子たちからからかわれたりした事もあります。そして自分でも、自分の顔が好きになれませんでした。

(その頃は特に太っていた事もあって余計。笑)

正しく自分の顔がコンプレックス。

加えて、落ち込む私を励まそうと「世の中にはもっとひどい火傷を負ってる子もいるからあなたはまだマシ」と他人から言われたときには「あなたにはその火傷すらないじゃない!」と心の中で怒り狂い、それでも「じゃぁこの傷痕に悩む私は小さい人間なんだろうか」と相手の言うことにも一理あると思い、更に自分を嫌いになる、の負のスパイラル。

それでも、思春期を過ぎ、高校生になり、だんだんと自分の顔を受け入れるようにもなりました。流石に高校生にもなって、見た目をからかう男子も居なくなりましたしね。

そして大学生になり、20歳を目前に最後の手術が行われました。(担当の先生が女医さんで、女優の栗山千明みたいに綺麗な人だった。)

簡単な手術だったので、すぐに通院での経過検診に変わり、抜糸も終わった頃に先生から言われました。「もう形成外科での手術の必要はありません。ただ、痕は残っているので、気になるようでしたら美容整形をお勧めします」と。

それを言われたときに、私のこの傷痕たちは「私のコンプレックス」としてまた全面に出てきました。そして葛藤が始まりました。「整形したらこの不格好な口元が治る?他の子たちみたいに綺麗な顎になるの?」と。

結局、整形手術はせず、今も仲良く傷痕たちと付き合っています。

整形なんて珍しいものでもない世の中、ハードルはそんなに高くはなかったと思います。

けれど、傷痕のない自分の顔や手を想像することが出来ませんでした。逆に、コンプレックスでしかなかった傷痕たちが無くなったら今までの自分もなくなるようで怖くなってしまいました。

今思えば、コンプレックスであるこの傷痕たちは、これまでの私を作ってきたアイデンティティでもあったんです。

かと言って、傷痕は依然として私の一番大きなコンプレックスです。昔ほどではないにせよ、憎くて仕方なくなるときもあります。火傷を負う前の、自分の写真を見ると泣けます。だって、綺麗だもん。可愛い口元しちゃってさ。

社会人になってから、つい父の前でそれで泣いてしまった事があります。その時にまさかの父も一緒に泣いていて、何度も「ごめん」と私を抱きしめながら謝るので、「もう一生この傷とは付き合っていくしかないんだな」と思いました。うだうだ言っても仕方のないこと。あの時整形をしなかったのは私の選択でしょう?

凄く恨めしいけど、自分の記憶にもないような小さい時からある痕だから、もう今となっては完璧に私の一部になっていて、離しようがない。

「お前はいつの間にか私のアイデンティティになってしまったのね〜」と、ふと昔のことを思い出しながら、自分のコンプレックスを許しつつある。

後は、やっぱり父の涙を見たのが大きかったかも。「なんで私をしっかり見ていなかったの」と親を憎く思った時期もあったけれど、親にとっても私の火傷はトラウマかもなと思ったら、「受け入れるしかないや」ってなっちゃう。いやぁ、大人になった。笑

 

ごたごたと色々書いたけれど、つまり何が言いたいかと言うと、「長く付き合ったコンプレックスはいつの間にか自分のアイデンティティにもなり得る」という事。

嫌な存在だけれど、それがなければ今の自分も居なかったから、結局自分にとって大事な存在でもある。みたいな。

それを今日シャワーを浴びながら思ったので、忘れないうちに!と思ってブログに書きました。

それにしても、シャワー中って、ふと色んなことを思い出しません?シャワーから出る湯気とか見ててぼーっとしやすいからかな?私だけ?笑